空と海と君と17

デキる先輩の国分とやらが居てくれてよかった。思ったよりも順調にコトが運んだ

翔は満足げに微笑んでスマホを置くと、レザーのスケジュール帳の金曜の欄にNと記した。

金曜、20時。

東京メトロ銀座線、赤坂見附駅から15分ほど歩いた静かな裏通り。

翔の行きつけのダイニングバーkizunaに二人はいた。

この度はわが社にお声を掛けていただきまして、まことにありがとうございます

二宮和也は真新しいスーツに身を包み、体のラインが全部直線になってしまったかのように、ぎこちなく頭を下げた。

こちらこそ、急な申し出に応じてくださってありがとうこざいました

渡された名刺を手に、礼を返せば、

いえ、とんでもありません。十分にお話をお伺いしまして、ご期待にお応え出来ますよう、精一杯務めさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします

益恐縮して、抑揚の無いビジネス仕様の言葉が返ってくる。

翔の名刺をセオリー通り、テーブルの左端に置いて。

それではお預かりした大切なお時間を無駄にしませんよう、お話を進めさせていただきます

ぶふっ!

国分に良く言い含められて来たのだろう、棒読みの口上がおかしくて翔は思わず吹き出してしまった。

御社のこれまでのブランドイメージをこちらのようにまとめさせていただきましたが、今回はターゲットを絞り、ブランドのグレードアップを目指しておられるとのことで、新店舗のイメージの参考になりますような施工例をいくつかお持ちしました

翔が吹いたことに気付いていないのか、和也は視線を手元に置いたまま、テーブルにガサガサと資料を広げ始めた。

俯いた両の頬のすっきりとしたライン上に、小さくツンと尖った唇が覗いている。

眉間に寄せた気難しそうな縦皺と、無防備な唇の淡いピンク。

ふっふふ

その対比が可愛いやらおかしいやらで、翔は再び笑ってしまう。

やっと笑い声に気付いた和也が顔を上げた。

あ、の?

怪訝な顔で小首を傾げているその様がまた。

ご、ごめ、ははは

何か、お気に障るようなことを言ったでしょうか

翔は、違う、違う、と手をパタパタと振り、

止めようよ、普通に話そうよ

と笑顔で言う。

はい?

だからさ、知らない仲じゃないんだし、もう時間外だろ?仕事のことは、後で企画書送るからさ

はぁ

その砕けた言葉に少しは緊張が解れたのか、和也の表情がようやく緩んだ。

間近に見る笑顔、潤んだ紅茶色の瞳が真っ直ぐに翔を捉え、胸が思いがけない鼓動を打つ。

実はね、君にもう一度会いたかったんだ

小さな動揺を悟られぬよう、半月にスライスしたライムが浮かんだミネラルウォーターを口に含む。

はぁ

パチパチと瞬く目から視線を逸らして。

俺は、過去に一度だけ会った君のことを覚えていた。うん、わかってる。それならばなぜあの夜、知らん顔をしたんだってことだろ?

はぁ

いや、それより前に、なぜ覚えていたのかってことかな?

はぁ

一頷きを返しながらも、視線をゆらゆらと泳がせている。

仕事の話からのいきなりの展開に、解けかけた警戒心がまた結びつつあるようだ。

ね、気付いてる?君さっきから、はぁしか言ってないよ?

は、あっ!

和也はハッと目を見開いて、慌てて両手で口を押さえた。

そんな仕草にも、妙に惹かれる。

取り敢えず、乾杯しようよ。ほら、その資料片づけて?ちゃんともらってくから。といっても

翔は集めた資料を引き寄せる。

もう全部ネットで確認してるし、申し訳ないんだが俺が一番気に入ったのはここには無いな。ほら、道玄坂の途中にある雑貨屋。あそこ、君の会社がリニューアルしたんだろ?

そんな小さな仕事までご存知なんですか?

揺れていた瞳がピタと止まり、丸く見開いた。

今日一、貌が動いたな

翔は目の前の不思議な魅力を持ったオトコの、色んな表情をもっと見たくなった。

前からあの辺りはよく歩いてたんだけど、あの店、急に目を引くようになったんだ。その後もずっとディスプレイの担当してるでしょ。ウィンドーの前で、いつも足が止まってしまうんだよ。なんか、ガラス越しに一枚の絵画が飾ってあるような気がしてさ

和也の顔がパアッと明るくなる。

ありがとうございます。その通りのコンセプトだったんです。一見額縁風の什器を作って絵具を乗せるように商品をディスプレイしようって

ふふん、俺の目も捨てたもんじゃないな。作り手の意図を完璧に読み取るとか、凄くね?

はい!スゴイです!

ようやく見せてくれた心からの笑顔。

まるで砂糖菓子のようだ。

翔は、和也の淡い色の唇に釘付けになってしまっていた。

華やかな街の片隅にある隠れ家的なバーkizunaは、いかにもな個室などは無いがテーブルの配置に工夫があり、さり気なく二人だけの空間を持てるようになっていた。

カウンターの中の顔馴染みのマスターは、いつ訪れても心地よい笑顔で迎えてくれる。

その多岐にわたる豊富な知識と如才ない会話で決して客を飽きさせることなく、それでいて分をわきまえた控えめな態度で出しゃばることもない。

柔らかい照明と美味い酒と美味い食べ物。

それから、客を観て的確に判断し、決して余計なことなどを口にしない心得た距離を保っての接客。

余計なコト、例えばこの店が、セクシャルマイノリティーと位置付けられる男たちが集まる場所であることか。

翔さんって、潤くんの言った通りの人ですね

テーブルでの食事を終え、カウンターに移った頃には程よく酔いが回ったのか、和也の口調は翔を名前で呼ぶほどに緩くなっていた。

翔が客である以前に、潤の同級生であるということを思い出したようだ。

潤、俺のことなんて言ってたの?

スゴイ奴だって。昔から何でも完璧にやり遂げてたって、高校も大学も。そして、とうとう夢を叶えやがった、って

ふふと、笑って頬杖を付いて視線を流してくる。

無意識なのであろうが、こういう店に決して一人で来てはいけないタイプだ。

夢?

そう。翔は画廊を経営して若い画家を育てるのが昔からの夢だったんだぞって、言ってました

潤の奴、そんな古いコト覚えてたのか

あ、画家っていえば

和也の表情がふわりと優しくなる。

こないだ、Satoshiっていう人の絵を展示してありましたよね?

え?そうだっけ?

一瞬ヒヤリと背中が冷えた。

僕、絵とか全然わかんないんですけど、その画家さんの絵にすごく惹かれてしまって

ああ、そういえば、あの時ジッと見てたね

はい、胸がギュッとなって、ここだけの話、泣いちゃったんです

バカみたいでしょ、と微笑んで、照れて赤くなった和也を、翔はカウンターに身を乗り出して自らが壁となって隠した。

カウンターの向こうの端、奥のテーブル、店内のあちこちから自分に視線が注がれているのを和也は気付いていない。

翔さんは、その画家さんと親しいんですか?

いや、特には

そうなんですね。残念。あんな絵を描く人ってどんな人なんだろうって思って

うっとりと目を細める和也を見て、翔は焦りを感じる。

二人は互いに惹かれ合っているのだろうか。

いや、まさかな。

それだけは、だめだ。

翔は体を捻り、和也の方にグッと乗り出した。

ね、それよりさ

頃合いと見たのか、マスターがさり気なく離れていった。

視界の端でそれを捉え、翔は次の言葉を口にする。

俺と、付き合わない?

続く。

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