そもそも人間学とは何か真の生計、真の交游

知古嶋芳琉です。

同じ、安岡正篤師の本でも

肩の凝らない本と申しますか、

日頃の仕事や雑事から離れて、

山あいの古びた庵で

茶をたしなむような気持ちで読む。

そのような風情のある気分でいると、

現役の人にとっては、

いきなり、

極めて辛らつな文章が出て来たりします。

ほんの一時の道草というか、

充電のつもりで読むのも結構かと思います。

ここでご紹介しておりますのは、

PHP文庫の

安岡正篤現代活学講話選集の一冊、

酔古堂剣掃すいこどうけんすいです。

これを読んでおりますと、

なんとも言えない風情を感じさせるもので、

私のように

還暦を過ぎてもなお、

自営業を営んでいる者にとっては、

顔から火が出るほど

恥ずかしくなってしまうお話しも

出て参ります。

ここからは、その一部の引用です

淡宕たんとうの心境

真の生計、真の交游

原文

世路中の人、

或いは功名を図り、

或いは生産を治め、

みな自ら正経とす。

天地間の好風月、好山水、好書籍、

ついに相游あいわたらざるを

争奈いかんせん。

豈あに一生を枉却おうきゃくするにあらずや。

原文の解説

世路中の人とは

人間が、

世間の人が、

生きていくその過程であります。

つまり、

世俗の人は

或いは功名を図り、

何か

人から

やんやと言われるようなことをやりたい。

或いは生産を治め、みな自ら正経とす、

みんな正しい経歴経路を本筋としておる。

何か成功しよう、

何か産業を興して

財産を作ろうということを、

世間の人は

それこそが本筋の生き方だと考えている。

そうして

天地間の好風月、

好山水、

好書籍、

ついに

相游あいわたらざるを

争奈いかんせん。

せっかく与えられているこの天地間の

好風月、好山水、好書籍というものを楽しんで、

それを身につけようというようなことに

直接関与しない。

没交渉に終わってしまうということは、

なんとも情けないことじゃないか。

豈あに一生を枉却おうきゃくするにあらずや。

枉という字は

曲げるということですから、

せっかくの人生、

人間の一生というものを曲げてしまう。

使い物にならなくしてしまう。

柱にも器にもならん。

せっかく人と生まれてきながら、

天地間の好風月好山水好書籍、

歴史の尊い産物といったものを

自由に楽しむ、

用いるということができない。

ケチケチと

ただ単に

金儲けとか

出世とかいうことに

没頭しておる。

もったいないじゃないか、

そういう考え方であります。

どうも

考えてみると、

死にがけに、

俺はよく生きたと思う者が何人おるか。

一生を

本当に

台無しにしてしまう。

使い物にならなくしてしまう。

これはなかなか風流で

同時に

深刻な指摘であります。

人間の本当の仕事とは、

天地間の好風月好山水、

すなわち

自然を充分生かし、

楽しむということである。

そこから

本当の教養を身に付け、

立派な人格を作りあげるということ、

これが本当の生活であります。

原文

刺を投じて空しく労するは原もと生計にあらず。

裾を曳いて自ら屈するは豈あに是れ交游ならんや。

原文の解説

名刺を差し出して、

大臣の所へ日参するとか、

官僚の所へ、

あるいは

某大会社の社長さんとか重役さんとか、

あっちへ名刺を持って行き、

こっちへ名刺を持っていって、

それこそ

功名を図り、生産を治める。

こんなものは

元を尋ねれば、

突きつめて言えば、

人間が生きる計りごとではない。

生計とは

人生の五計でも詳しく説明しているが、

単に

日常の暮らし、

金をこしらえる、

生活の道を立てる

という生計ではなく、

もっと

根本的本質的な生計、

われらいかに生くべきやという、

人生至極の問題であります。

そんな

功名だ、

生産だということのために、

あっちにウロウロ

こっちにウロウロと

有力者を訪問したり、

成功者の門を叩いたりというようなことは、

元来、

人間いかに生くべきやという計りごとじゃない。

裾を曳いて自ら屈するとは、

昔の礼装で、

礼服を着て、

腰を低くして

ご機嫌を取ってまわるということ。

それが

豈あに是れ交游ならんやである。

こんなことが

本当の交際と言えるかというわけだ。

なかなか辛らつである。

心にもなく

やむを得ず、

自分を殺して

そういうことをやっている人が、

たまたまこんな文章を読んだら、

愕然とせざるを得んだろう。

そこに、

こういう文章の妙味がある。

非常に厳しい。

深刻だけれども、

しかし

人間というものは

また

こうなんだと言うております。

原文

人、一字識しらずして而しかも詩意多く、

一偈げ参ぜずして而も禅意多く、

一勺濡らさずして而も酒意多く、

一石暁いっせきさとらずして而も画意多きあり。

淡宕たんとうの故なり。

原文の解説

人間は

一字も知らなくても、

つまり

文字の教養がなくても、

その人自体

詩人的である。

詩意多くとは

文字なんか知らんでも、

いわんや

学校なんか出ないでも、

文芸の本なんか読まんでも、

天稟てんぴんというか、

人柄そのものが詩的である、

いわゆるポエティカルである、

あるいは

芸術的である。

こういうことは確かにあります。

文字のない詩人、

これは田夫野叟でんぷやそうにも

自らあります。

同じように

一偈げ参ぜずして而も禅意多くであります。

禅には

いろいろ

公案というものがあって、

俺は公案何則通ったということをよく言う。

碧巌録なんか百則もある。

教科書みたいに

参禅公案の種類を集めたものが

たしか

千二、三百則あったような気がするが、

そんな参禅なんてやらなくても、

しかも

禅そのものの心、

禅意の多い人がいる。

かえって

臭い禅僧とか、禅客なんかよりも

ずっと超脱した妙境にある人物もいる。

一勺濡らさずして而も酒意多く、

ひと雫しずくも飲まないで、しかも酒意多い。

酒を飲む人間よりも

飲酒の味趣を豊かに持っておる者がある。

酒が飲めなくても酒を楽しめる人、

あるいは

酒座、酒の座を楽しませる人、

これは往にある。

一石暁いっせきさとらずしてとは

一つの石の描き方も知らないで、

しかも

人間そのものに

画意、絵心が豊かにある。

こういう人もある。

どうしてそうなのかというと

淡宕たんとうの故なり

と締めている。

淡は

これまた

その意味がなかなか難しい。

宕とうというのは、

岩石が山の崖下だとか、

あるいは森の中に、

堂たる大石として

でんと構えているさま、

これが宕であります。

だから

豪傑の豪を書くと

豪宕となり、

スケールの大きな、

確乎として

奪うべからざる力を持っている。

また、

英雄の雄の字をつけると

雄宕となる。

このように

いろいろ熟語がありますが、

ここでは

淡の字がついて

淡宕という。

なかなか味が複雑である。

普通は淡といえば淡い。

淡いというのは

どういうことかと言えば、

味がない、

薄味のことだなんて解釈しています。

しかし、

そんな解釈ならば

君子の交わりは淡水の如し

などは、

君子の交わりというものは、

水のように

味がないとなってしまう。

君子の交わりは

つまらんということになってしまう。

だから

淡とは

味がない、

味が薄いというような意味ではない。

それなら

どういう意味かというと、

この本当の意味がわかって、

実は

初めて

淡水とか淡交、

君子の交わりということがよくわかる。

一言で言うなら、

甘いとも苦いとも渋いとも、

なんとも言えない妙味、これを淡という。

甘いとか、苦いとか、渋いとか、

酸っぱいとかいうのは、

偏味というけれども、

そういう偏かたよった味ではない。

一番わかりやすい言葉でいうと、無味という。

これは

老荘流に言うと無の味。

禅でも無の味。

しかし、

無の味なんて言うと、

普通の者にはわからん。

無味なんて書いたら、

たいてい味なしと解釈してしまう。

それでは

他に言葉がないのか

というところから

この淡が生まれた。

淡味と言う。

だから

君子の交わりは淡水の如し

とは、

ちょうど

甘いとも

苦いとも

酸っぱいとも、

そういう偏った味ではなく、

なんとも言いようのない味なのだが、

実在の世界で至れるものは水である。

つまり、

至味、

至れる味であり

神味

とも言う。

だから

人間、死ぬときはみな水をくれと言う。

死ぬときに酒をくれと言う人はめったにない。

あれば

よほどの豪傑であります。

私が少年時代に剣を教わった

絹川清三郎という人は

関西では有名な剣の名人でありました。

この人の甥が鍋山貞親君だ。

この絹川先生に私は非常に可愛がられたが、

鍋山君の話によると、

大いに敵愾心を持った

なんて

白状しておったことがある。

その後、

久しく別れておって、

戦後でもないが、

お互いに成長してからまた相会うことになって、

私たちの研修会で

演壇に立ってもらったことがある。

そのときに

彼は、

獄中でふと差し入れられた書物を読んで、

初めて

それに心酔して、

その書物の著者の書物を集めてもらって

耽読たんどくした。

そして

だんだん聞いてみたら、

なんぞ知らん、

その著者は、

自分の少年時代に

叔父からしきりに聞かされた少年だった。

実は安岡先生であります

と言って皆を笑わせ、

関心させたことがありました。

この鍋山君の叔父さんの絹川先生は

非常な名剣士であった。

この人は亡くなられるときに、

酒だけが喉を通った。

喉頭がんで水も通らん。

でも酒だけは通る。

これはやっぱり、ちょっとタダ者じゃないです。

それから、

私の中学の親友で

先輩だった

大阪の天満宮の寺井種長宮司

この人も非常に酒が好きで、

私がお参りすると、

茶を持ってくる前に酒を持ってこいという人で、

この人が亡くなるときに、

寝床から手を出すので、

奥さんが水ですかと尋ねると、首を振る。

それから酒だなと思って、

酒ですか、と言ったらウンウンとうなずいた。

それで酒を持っていってあげたら、

それをうまそうに飲んで

ぱたっと落として亡くなった。

息が絶えた。

なかなか豪傑です。

ちょっとできない。

もちろん

死にがけに

真似してみようなんて気も起こりません。

しかし

これは

別に

学ぶべきことでもないが、

とにかく

淡宕の宕に似ている。

淡という字は

言うに言えない味、

水のごとき味。

それで初めて

君子の交わりは淡水の如し

ということがわかる。

君子の交わりは

甘い交わりでもなければ、

苦い交わりでもない。

なんとも言えん味の交わりで、

これがいわゆる淡交である。

つまり

至極の味なんであります。

茶というものもそうで、

お茶というものの蘊奥うんおう学問技芸などの

最も奥深いところ。奥義。極意極意は

淡にある。

淡水の如しというところにある。

砂糖でもない、

酒でもない、

なんでもない、

もう

そういう

世の中の

俗な味の話を通り越した

至極の、

しかし

なんとも言えない

淡たる交わり、

そういうのを茶話と言う。

世間の

いわゆる

茶話などというのは、

正確に言うと

無茶話というやつなんだが、

普通は

それが

茶話で通っておる。

老夫婦のことを茶飲み友だちという。

あれを世間の人は、

夫婦が歳をとって、

もう色気も面白味もなくなってしまった、

つまらない老夫婦の仲というふうに考えておる。

これはとんでもない間違いである。

本当は人生の酸いも甘いもなめ尽くして、

なんともかんとも言えん

情味のある話しのできる語らいが、

年寄りの茶話というものなのです。

世間はその本当の意味を

無慚むざんに誤り解して、

いやもう、われわれ老夫婦なんか

まことにつまらんもので、

老人の茶話です

なんていう。

わかっているようで、

一つもわかっておらん。

まことにつまらん老人ということになる。

人生にはそういうことが多い。

茶飲み友だちなんていうのも、

実は

なんとも言えん味のある友だち

ということであります。

これは、

よほど人生の経験を積んで、

もう至極の境地に至っておる、

その淡であって、

しかしながら

そこに

なんとも言えない

おおらかさ、

強さ、

逞しさを持っておる

というのが宕とう、

だから

淡宕という言葉は

実に味のある、

いい言葉です。

西郷南洲の晩年は、

たしかに

淡宕という境地です。

あの人が

たまたま官を去って、

帰村したときに、

村にはいろいろな問題があって、

村長が泣き言を言いにやってきた。

そしたら

西郷さんが

座りなおして、

そいじゃ、おいどんがやろうかと言った。

村長はびっくりした。

まさか明治新政府の参議総督が

田舎の村長になるわけがない。

冗談だと思った。

ところが冗談じゃない。

西郷さんは本気で言うておる。

つまり

西郷さんから言わせれば、

自分の生まれた村の村長も、

偉勲赫かっかくたる

参議陸軍大将も

同じことなのであります。

スケールというか、

こういう境地というのが、淡宕です。

なかなか

ここまで行く人はいない。

人間も

ここまで行けば偉い。

英雄哲人の終わりには、

時折こういう境涯がある。

誰にでもわかるのは

大西郷の最後の風格、晩年の風格であります。

引用はここまでです

ここからは知古嶋芳琉が書いています。

かつて、

安岡先生が

まだご存命のころ、

東京のクラブ関東で、

毎月先生を囲んで、

お昼のお食事会、

午餐会

が開かれておりました。

この午餐会に参加できたのは、

日本を代表するような

超一流企業の代表者とか、

官界からは、

非常に高い志を持っている人物に

限られておりました。

そして、

どなたも

大変忙しい人ばかりだったので、

私の先輩は、

毎月の

この

午餐会の

日程調整が

大切な仕事の一つでした。

ところが、

この日程調整は

大変な仕事で、

二転三転するのは当たり前で、

四転五転するのが常でありました。

日本の財界を代表するような人たちは、

毎日

30分刻みで

来客をさばいたり、

数え切れないほどの会議とか

会合の場が山ほどあって、

息つく暇もないほど忙しいのが常であります。

命を縮めるような毎日です。

ですから、

必然的に

数年でバトンタッチをするようになりました。

そうでもしなければ、

命が幾つあっても足りないからです。

産業戦士とはよく言ったもので、

まるで

使い捨ての傭兵みたいなものです。

これが

官界であろうと

政界であろうと、

似たようなものです。

私の場合、

それぞれの戦場の第一線から退いた

大先輩との素交と言うか、

商売を抜きにした

懇談の時間をいただく機会がありますと、

それはそれは

もう

言葉には出来ないほどの

至福の時間を楽しめたものです。

そうなると

必然的に、

時間が過ぎるのを忘れて

語り合ったものでした。

しかし、

そのような

時間を忘れて語り合えるほどの人物ともなりますと、

極めて

その数は限られ、

なおかつ

大先輩たちは

既に

かなりのご高齢ですから、

かつてのように

自由にお話ができなくなってしまいました。

なんとも寂しい限りです。

そうなりますと、

必然的に、

いわゆる

独楽

というものを

嗜たしなむようになりました。